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Peace in the pacifism world

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で受け付けておりますので、よろしければそちらのほうへご通報ください。
または、お住まいの地域の警察署、警察本部でも相談等受け付けております。

沖縄返還密約で政府がついた嘘と犯罪
   「うそつきは泥棒の始まり」というが。

 政府は、いつまで国民にうそをつき、だまし続けるつもりなのだろうか。
 沖縄返還交渉の際に、日米が交わした財政負担に関する秘密文書、沖縄返還「密約」とも呼ばれている。

 本来、協定上も米国が負担すべき返還軍用地の原状回復費用400万ドルを
 日本側が肩代わりした事実を示す文書をはじめ、支払うべき根拠のない米施設の移設費用の負担など、
 国民の血税を不当に支出した「犯罪的行為」を裏付ける文書などだ。

 「密約」の存在は1972年の沖縄返還時に毎日新聞記者の西山太吉さんが情報を入手し、国会でも取り上げられた。
 しかし、当時、政府は密約の存在を否定。
 その後も、情報開示を求める市民の要請を拒み続けてきた。
 だが、そんな日本政府の対応とは裏腹に、密約を結んだ相手国である米国は
 1994年に大統領令で秘密指定を解除し、すでに当該文書を情報公開している。

 開示された文書の一部は沖縄県公文書館でも開示されている。

 もっと言えば、密約を結んだ当事者である元外務省高官の吉野文六氏が、
 2006年に自ら報道機関や研究者に事実を告白し、密約の存在も認めている。

 それでも、日本政府は当該文書の開示請求に「保有していない」「不存在」として拒み続けている。
 日本は、いまも国内に駐留する米軍の駐留経費を負担し、
 日米地位協定上も米軍が負担すべき経費を「思いやり予算」として肩代わりを続けている。

 普天間基地の名護市辺野古への移転、米海兵隊の一部のグアム移転など、
 米軍再編のための費用も負担することになっている。

 「この巨額の財政負担の源流は、沖縄返還交渉中に日米間で交わされた密約にある」との指摘もある。
 「国民にうそをつく政府は、憲法を否定、いつか滅びる」

 「国民が主権者であることを確認するために」市民や研究者、ジャーナリストらが
  「沖縄返還密約」の開示を国に求め、東京地裁に提訴した。

 政府が「密約」を否定する理由は何か。
 よもや国民の血税を盗み、米国に貢いだ事実を隠ぺいし続けるためではないだろう。

 裁判は日本の民主主義の「実相」を問うものだ。
 政府は事実を開示し、きっちりと説明してほしい。

 官僚主導で進められた「沖縄返還密約」の裏に、更なる「密約」が有るのではと疑いたくなる。

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沖さんに一言

プロフィール

沖
名前:
年齢:
72
性別:
男性
カテゴリ:
風景・地域
閲覧数:
6,005
登録日:
2008/03/28
お気に入り登録者数:
2
最終ログイン:
2週間以上
自己紹介:
氏  名   沖  一幸(おきの かずゆき)(本名,芸名?)

生年月日 1944年8月1日 昭和19年 申歳 獅子座

出生地 沖縄県国頭郡久志村字三原 現在の「名護市三原」

(近くにはカヌチャベイホテルがあります。)

半農半漁の山村で、間近に大浦湾があり、幼い頃は良く貝拾いや海水浴をしましたが

現在海上基地(飛行場)建設で問題に成っているところです。

幼い時に、良く母から「人魚姫」は「ジュゴン」の変身した姿だよと、聞かせれました。

この海域は昔から「ジュゴン」の餌場なのです。

簡単な略歴

出生後6歳頃まで、沖縄県の片田舎「山原」(やんばる)で暮らし

小学校からは基地の町に引越す。

当時は「越来村」後に「コザ市」となり、1974年には
歴史的、地理的、社会的、そして経済的にもきわめて
緊密な関係にあった「旧美里村」と「コザ市」との
対等合併が行われ、新生「沖縄市」の誕生となる。

幼稚園は出生地の「三原小学校の幼稚園」小学校からは、基地の町で!

小学校当時は、丁度朝鮮戦争真っ只中で

沖縄県は戦争需要とでも言いましょうか?基地の街は不夜城と化し、

明け方まで賑わって居りました。

海軍基地に戦艦が入港すると、一番賑わいました。

バー街では、当時何でも商売に成りました。

生活を支える収入を得ようと、外人バー街でjは、戦争孤児から大人まで、

靴磨き、チュウインガム売り、花売り、お菓子売り等、何でも商売にして居ました。

犬や兎等何でも売れました。
ライブタグ:
sticam サンゴ 沖縄 珊瑚 美ら島沖縄 観光
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